Lesson 1-2 JWの“愛”


 JWの出版物の内容は前章で指摘したように、聖書を誤用したものです。

 以下は典型的な例です。

ものみの塔 87/2/1
「良いたよりを宣明するため力を尽くして励む」
彼らは全時間奉仕に入るために、そしてその奉仕にとどまるために自分の状況を最大限に活用するよう徹底した努力を払います。神への愛が自分にとって実際に何を意味するかを、行動によって実証しているのです。
ものみの塔 92/1/1
「エホバに対する愛は真の崇拝を鼓舞する」
もしあなたがまだ開拓奉仕を行っておられないなら、エホバに対するあなたの愛はあなたを強く動かし、イザヤ 6章8節にあるように「ここにわたしがおります!わたしを遣わしてください」と言わせるでしょうか。または、勤勉な聖書研究をすることにより、神の言葉があなたの心にある燃えるような願いに火をつけ、そのためあなたは開拓奉仕に入る次の段階を踏まずにはいられないようになるでしょうか。
王国宣教 99/5
「宣教奉仕を拡大する方法」
わたしたちの奉仕はすべて、「あなたは、心をこめ、魂をこめ、思いをこめ、力をこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」という最大のおきてをその動機としているはずです。王国の業を促進するために開かれた機会を最大限に活用することにより、エホバに対する自分の全き愛を実証できます。
ものみの塔 87/2/1
「良いたよりを宣明するため力を尽くして励む」
『・・開拓奉仕ができないのは特殊な状況にある人だけだということが分かってきました』。日本のある開拓者、つまり全時間奉仕者はこのように書きました。全時間宣教に携わっている人々を見ると、その中には、若者やお年寄り、独身者や既婚者、健康な人や健康の優れない人、家族の責任のある人やそうした責任のない人など、考え得るあらゆる立場の人々が含まれています。彼らがほかの人たちと異なっているのは、それらの要素が妨げとならないようにし、使徒パウロに倣ってそうした要素に自分を合わせ、その中で生きてゆくことを学んできたという点です。
王国宣教 94/1
「エホバを敬うためもっと多くのことが行えますか」
開拓者ではない多くの人々もそれと関連した次のような質問をしてみることができるでしょう。『自分が開拓者でないことについてエホバのみ前で本当に言い開きをすることができるだろうか』。わたしたち各人は自分に対して正直でなければなりません。『したい気持ちは十分にあるが、肉体が弱い』と、あなたは言いますか。しかしその気持ちは本当のものですか。乗り気でない事の言い訳に肉体の弱さを持ち出すのはやめましょう。
王国宣教 99/4
「開拓奉仕―時間を賢明に用いる生き方」
こう自問するのは適切なことです。『あす自分の命が突然終わるとしたら自分は今日、これまでずっと時間を賢明に用いてきました、とエホバに申し上げることができるだろうか』。
ものみの塔 87/2/1
「良いたよりを宣明するため力を尽くして励む」
主人であるイエス・キリストはすでに戻り、ご自分の「奴隷」級とその仲間である羊のような人々の「大群衆」の業を検閲しておられます。主人はどんなことに気付かれますか。うまくやってゆくだけの、単なるしるしだけの奉仕に満足しているとしたら、わたしたちは辱められて「外の闇」に投げ出される人々の一人に数えられることになりかねません。
ものみの塔 2001/7/1
「神への奉仕における喜び」
クリスチャンも同様に神への奉仕を楽しむべきです。そうでないなら心からの感謝がどこか欠けているのです。
ものみの塔 2002/9/15 p18
だれかの言葉や行動によって傷ついているでしょうか。そうであれば正しい視点で物事を見ていますか?この事物の体制で直面する患難も一時的なものです。
ものみの塔 89/9/15
「指導の任に当たっている人たちに従いなさい」
次のように述べた姉妹のように感じることが期待されています。
『わたしたちには世界中で最も優れた長老団がいます。彼らは、必要な時に援助を与えるため、ここにいるのです』。
エホバの証人の間で指導の任に当たる特権を得ている人たちに常に従うようにしましょう。

 お分かりのように、JW成員は真面目で良心的であればあるほど二重にも三重にも苦しまなければなりません。神の威を借りたパワハラに苦しみ、それに耐えられないことでさらに自分を責めるのです。

 JWの教えは、イエスキリストの教えに反しています。

マタイ 12:20
彼は、打ち傷のついた葦を砕かず、くすぶる亜麻の灯心を消さず、やがて公正を成功裏に送り出す。


JWが聖書的宗教ではない理由

 JWは「この組織だけが神によって是認されている」という教えを持っています。それでこの組織は悪いのです。

 この組織だけが神の組織であると述べるとき、その人々には絶大な責任が生じます。

 それは自らを神の代理者であると述べることだからです。

 統治体は神ではないが、聖書の神から是認された唯一の意思伝達経路である・・・という教えは言葉のまやかしであり、論理が通らない文章です。

 「○○の言葉は神の言葉である」となれば、○○はもはや神なのです。

 JWの出版物中ではエホバへの信仰と組織への信仰が同じに扱われています。

ものみの塔 01/7/1 p19
わたしたちは最初どのようにして強い信仰を築いたでしょうか。・・エホバやエホバの約束、エホバの組織に対する信仰と信頼を築いたのです。
イザヤの預言Ⅱ p188、228、345
注意を怠らない見張りの者たちは、エホバとの密接な個人的関係を築きいわば目と目を合わせて、顔と顔を合わせてエホバを見ます。・・
「忠実で思慮深い奴隷」が発行する出版物を読み、準備をしてクリスチャンの集会に出席することによって教訓を取り入れるなら、まさにエホバに教えられていることになります。・・・
油そそがれたクリスチャンは神への奉仕のために取り分けられ、神聖の道を歩んできました。・・・
ものみの塔 84/7/1 p15
エホバが代弁者として用いておられる人々に対する信仰、そうです、エホバの組織に対する信仰です! わたしたちが今日エホバへの奉仕に「出て行く」とき、そのような信仰を働かせるのは本当に重要なことです。

 JWにおいては、実質的には統治体が神です。聖書も神エホバも御子イエスも、教理上の概念に過ぎません。

 JWの教えは、御子イエスキリスト以外のなにものによっても父なる神に近づくことはできない、という聖書の教えに反しています。また、偶像崇拝を禁ずる聖書のおきてに違反します。

ものみの塔 01/7/1 p19
わたしたちは・・エホバの組織に対する信仰と信頼を築いたのです。
ものみの塔 84/7/1 p15
そうです、エホバの組織に対する信仰です! わたしたちが・・そのような信仰を働かせるのは本当に重要なことです。

 これを、神ではないものを神として崇拝する偶像崇拝と言わずして何と言うのでしょうか。

 この章は次の聖句で終わります。

ガラテア 1:8‐9
たとえわたしたちや天からのみ使いであろうと、わたしたちが良いたよりとして宣明した以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明するとすれば、その者はのろわれるべきです。わたしたちが上に述べたとおりのこと、それをわたしは今もう一度言います。あなた方が受け入れた以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明している者は、だれであろうとのろわれるべきです。

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