Lesson 3-2 JWの体罰信仰




 私が昔のJWの体罰崇拝を非難するのは、それが神の名のもとに行なわれたからです。

 神の名を持ち出した責任は、厳しく問われなければなりません。

 私は当時小さい子供でしたが、どんどんエスカレートしていく空気が何より恐怖でした。

箴言 13:24
むち棒を控える者はその子を憎んでいるのであり、子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める。
箴言 22:15
愚かさが少年の心につながれている。懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す。

 かつて、これらの聖句の「むち棒」は文字通りの厳しいムチとして教えられましたので、ある程度の年齢以上の二世信者の多くは厳しい体罰を受けています。詳述しませんが、かなりの拷問的体罰が流行していました。それはJWの統治体による指導の結果でした。

ものみの塔 1971/6/1 p325
敬虔な節操は子どもたちの中に生まれるものではありません。それどころか「愚かさが少年の心臓と結びついている。懲らしめのむちは、それを遠くへ追いやるものとな(り)」ます。(箴言 22:15)誤った傾向に対抗するため、子どもたちを幼い時から正しく訓練することが必要です。
ものみの塔 1972/1/15 p47‐p48
子どもを懲らしめることは、幼児のときから始めてください。・・懲らしめを施すさい、むちを用いることを躊躇(ちゅうちょ)しないでください。・・子どもを懲らしめるために親はむちの使用を躊躇すべきではありません。
目ざめよ 1970/1/22 p15
ある子供にとっては肉体の痛み、つまりおしりを叩くことが、いちばん理解できることばとなります。
目ざめよ 1979/8/8 p29
多くの言葉は必要ではないでしょう。おしりをたたくのが適切かもしれません。
目ざめよ 1973/4/8 p17-p19
動物は自分の子供を訓練しますか。懲らしめを与えますか。子どもに従順を要求しますか。確かにそうします!時には、動物の子どもは遊びたがって、真剣に教わろうとはしない場合があります。しかし、親はそのようなばかげた行ないをがまんしはしないようです。ネズミの捕え方を子ネコに教えている母ネコは、子ネコがぐずぐずしていたり、不注意であったりすると、子ネコの横っつらをぴしゃりと打ちます。
王国宣教(日本版) 1981/1 p2
罰として身体的なむちが必要な理由。・・必要な時と場合に、懲らしめのむちが当てられる。目標は、エホバに愛され、そのみ名に誉れをもたらすクリスチャンを育てることであり、このことを思いに留めなさい。

 このように昔のJWは、箴言の聖句に出てくる「むち棒」を文字通りの体罰として解釈して教えていました。

 しかし、過酷な体罰の重用を日夜教えていたのも昔、現在では箴言の「むち棒」という語句は象徴表現で、文字通りの体罰ではない、という解釈に変更されています。

ものみの塔 2002/3/1 p32
不完全な人間であるわたしたちは皆、時に痛みが伴うとしても、懲らしめや矯正をどうしても必要としています。(エレミヤ 10:23)聖書は、それが子どもにとって必要であることを強調してこう述べています。「愚かさが少年の心につながれている。懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す」。―箴言 22:15。この場合のむち棒は、親の権威を象徴しています。

 ・・・だそうです。

 幼児として当時の組織内の恐怖の空気を体験していない人には関係の無い事柄ではありますが、JWの教えは揺れ動き、聖書の解釈を好きに変える、という一例として、ここではJWの過去の体罰賛歌、体罰信仰を取り上げました。


聖書の言葉の真意は?

 おまけで付け加えると、箴言の聖句中の「むち棒」という表現は明らかに文字通りのもの、厳しい体罰の重用を奨励しています。時代背景と前後の文脈から見て、そう解釈するのが妥当で自然です。

 その教えの是非はあえて論じません。現代の基準で古代のサバイバルの教えの是非をどうこう言うのは間違いです。ただし、はっきり言えるのは、古代の教えは古代の教えであり、そのまま現代にあてはめることはできないということです。

 この問題は、聖書との正しい付き合い方を教える実例となっています。


※下の2枚の写真は当時の体罰の流行具合のイメージです。親達がノリノリで壊滅的に怖かったです

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